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公開討論会「〈解釈の見直し〉による集団的自衛権の行使容認問題を考える」(枝野氏発言)
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   更新:2013/10/19
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2013/10/05開催された当会主催の公開討論会「〈解釈の見直し〉による集団的自衛権の行使容認問題を考える」(登壇者などはこちらをご覧下さい)での枝野幸男氏(民主党憲法総合調査会長)の発言より、立憲主義擁護の観点から解釈変更による行使容認は許されないというところを中心にまとめました。
公開討論会「〈解釈の見直し〉による集団的自衛権の行使容認問題を考える」(枝野氏発言)
 

 もう十年くらい前から、この論文(「憲法九条 私ならこう変える」『文藝春秋10月号掲載』)のベースになる文章を作ってました。国会議員になったときに、最初からずっと「あなたは護憲派ですか? 改憲派ですか?」という、答えようのない質問にさらされ続けてきて、私は常に「良く変わるなら賛成です。悪く変わるなら反対です」という、至極真っ当な、当たり前の答えをずっと繰り返してきました。まあ、もちろん、新しい人権を書き加えることとか、こういうふうに変えるんですよとはっきりしているところはともかく、やはり9条については「じゃあどっちなんだ?」と最後は詰められる。だったら、じゃあ良く変わる一例をちゃんと示さないといけないだろうということで、実は十年くらい前からずっと用意をして、若干バージョンアップをしながら私のパソコンの中にあったものが今回の論文です。

 ただ、このタイミングに出そうというふうに思ったのは、やはり、どうも集団的自衛権に絡んで、過去の政府解釈と整合性の取れない解釈変更をしようとしているのではないか、という報道がいろいろと伝えられていると。で、これはまさに立憲主義の観点というか、憲法は権力を縛るための道具であるのに、縛られている側が恣意的に過去の解釈を変えることができたのでは、縛っている意味がなくなる。つまり憲法の意味がなくなると。したがってこれは許されることではないと考えました。
 と同時に、そこで議論されているわが国の安全保障に関する議論、特に公海上での米海軍に対する支援とか、PKOにおける駆けつけ警護みたいな話、こうした話自体についてはきちっと議論する必要があるということ。これは私自身も、きちんと議論する必要があるという立場ですので、ただ単に「解釈の変更はけしからん」と言うだけでは、おそらく多くの国民の皆さんの理解を得られないのではないかと思いました。

 で、解釈の変更は、こうだめなんですよと。その代わりこういう形で条文を変えて、いま曖昧、あやふやになっている部分で、わが国にとって必要なことはしっかりと認める。その上で、認められないことは認められない、という線引きをしたほうがいいんじゃないですかと。で、論文自体の最後にも書いていますが、それは「憲法9条を変えたい」と従来からおっしゃっている方の中にも、どうもいろいろあるようだなと最近わかってきましたが、それでも大部分の方は、そうは言っても日本が戦前のような軍事大国になろうとしているのではないんだろうと。だとすればこういう条文改正で ── もちろん細かいところはともかくとして ── おおむね困らないんじゃないですかと。

 一方で、いわゆる旧来の護憲、つまり従来の日本の「平和主義」と言われている路線自体をしっかり守らなきゃならないと思っている人たちにとっても、解釈で、まったく国民に信を問わずに、何と言うんでしょう、公権力行使の限界、自衛権、あるいは自衛隊の行動範囲が拡大をするような、そんな憲法よりもずっと安心できるんじゃないですかと。そのことを国民の皆さんに問いかけたい。そんな思いでこんな論文を書きました。解釈変更についての私の見解は、いま申し上げたとおりです。

[30分11秒経過 船田元さんの発言を受けて]
 あえて申し上げるんですけど、いわゆる「4類型」の話みたいな時、私はあんまり危機感を持たなかったんです。つまりですね、私も先ほど気をつけてお話をしたんですが、「過去の内閣の見解と整合性の取れない解釈変更は許されない」と言いました。いい悪いは別として、。少なくとも立憲主義という観点からぎりぎり許される範囲というのは、過去の政府としての解釈と整合性が取れる新たな解釈が付け加わってくるところまでです。実際にいろいろ調べてみると、例えば憲法で、文民条項という、文民じゃなければ閣僚になれないという条項は、自衛隊も何もないときは「軍国主義的傾向の強い人」みたいな解釈ですという答えがあったのが、自衛隊ができて自衛隊がそれなりの実力を伴った段階で、「軍隊に準ずるような実力組織だから自衛官も現職では大臣になれません」という、そういう解釈ですとなりました。これは過去の解釈を否定しているわけではなくて、過去の解釈に新たな解釈をつけ加えたということなので、私が絶対に立憲主義の観点から許されないと言っている解釈変更ではない。

 ということからすれば、いま議論されている、いわゆる「4類型」に類するところは、それこそ阪田さんの後輩の人たちがいろいろ知恵を絞って、過去の政府解釈と矛盾しないような新たな解釈・説明ができるならば、それはあり得るだろうと私は思っています。それをやるべきかどうかは別としても。立憲主義の観点からはそこまではぎりぎりセーフだろうと。
 ただ、いま問われているのは、まさに今まで「集団的自衛権は行使は許されない」、と、これは政府として、しかも、別に民主党政権のときに作った解釈ではなくて(笑)、何十年間にもわたって説明をしてきた解釈。それの、「集団的自衛権は行使できない」という、そのことを否定してしまう。こういうことは意味が違うということだと思っています。ですから、船田さんの、政策論としてのね、「安全保障上どうしても必要だ」というときに、過去との整合性の取れる範囲での新たな解釈の追加を模索するところまでは、結論はともかくとして、少なくとも手段としてはぎりぎり私は容認します。が、それと今回の議論はちょっと違うんじゃないかと思っています。

[42分25秒経過 今井一の質問(「憲法解釈の変更で自衛隊を容認した歴史があるではないか…」という前原氏、北岡氏の主張をどう考えるか)に答えて]
 じゃあまず、私から。
 これは阪田さんに後で説明していただいたほうがいいと思いますけど、自衛隊を作ったときには、解釈変更していませんよね? ここは、みんな、大きな間違いをしていますよ。それは歴史をちゃんと学んでもらわないといけない。そこは、仲間ですけれども前原さんには強く言わないといけないと思っている。憲法解釈変更していません。これははっきりしていることです。
 で、その上で、そこから先の趣旨は、前原さん発言は先ほど私が申し上げたような意味ではないか。日ごろの彼の発言からすると。というふうには思っています。
 それから、党としてどうするのかという話ですが、これは、2005年に、党としてオーサライズ(公認)されている憲法提言で、いまの憲法の問題は、法の支配が緩んでいること、憲法が空洞化をしていること、これは立憲主義の観点からだめなんだ。だから、憲法の議論をして変えるべきところがあれば変えるんだと書いていて、もう明確になっています。あえて言えば、これは立憲主義論なので、政党とか政策とか政治理念を超えて、こんなもの許しちゃいけない。それはもう、私一人でもやります。

[46分20秒経過 今井が船田さんに突っ込んでいるのを受けて]
 あの、いいですか。今の船田先生のお話のなかで、実は、ちょっと違うのは、集団的自衛権云々の話という話と、その、何と言うんでしょう、安全保障関係の変化という話とが、どう結びつくのか、実は全然説明されていないんですよ、従来。
 あえて言いますが、僕は、政策論としては意見は違いますが、例えば敵基地攻撃能力を持つべきかどうかみたいな議論があるわけですよね。これ、従来からいろんな議論があるわけですが、まあ、かつて日本の安全保障を脅かす可能性のあるところがあるとすれば、例えば、社会主義時代のソ連とか、そういうことがあったとき、これはもうアメリカの抑止力でやるしかどうしようもなかったですねと。今は近くに北朝鮮があって、ここがミサイルを持っていますねと。で、ミサイルを何十発も打てる能力がありますねと。じゃあ、これがまさに日本を狙って打とうとしていますねというときには、今は、それから日本国民を守るための手段は、基地をぶっ壊しちゃうしかないんだろうなと。これは、おそらく現行憲法の従来の解釈の延長線上でというか、解釈と整合性を取った中である程度説明ができるし、それこそまさに、飛び道具で基地を壊さない限り命を守れない、日本人の、国民の生命、命を守れないという状況は、恐らく50年前とは違う状況なので、その状況に合わせて、新たな解釈というか、従来の整合性を壊さない解釈で容認することは、僕は、あり得ると思うんです。政策論として賛成かどうかというのは留保したいと思いますが。
 という話と、じゃあなんで他国 ── 自国の安全が脅かされていないのに他国を助けに行くのかという話とは、ちょっと意味が違うと思いますね。

[55分44秒経過 今井一の質問を受けて]
 あらゆる法には必ず解釈の幅があるわけですから、誰がどう解釈するかによって見解は変わるわけです。だけど立憲主義の観点からは政府が恣意的に変えてはいけない。でも、どうも今、そんなことをしようとする人が出てきてしまっているようだ、ということを考えるならば、できるだけ解釈の幅を狭くしたほうがいいと。で、極端なことを言えば、先ほどの自衛権行使の三要件だって、これは解釈ですから、「こんなものは間違っている解釈だから、違う解釈をします」という総理大臣が出てきてしまったら、本当に9条の意味はなくなるわけです。
 これは9条だけの問題じゃありませんから。憲法はあらゆる人権、例えば表現の自由だって、「いやあ、そんな表現の自由、憲法に書いてあるけど、いままでの解釈は間違っていたんだから、そんなものは、例えばテレビ局は全部検閲するんだ。これが正しい憲法解釈だ」なんていう人が出てきかねないわけです。絶対に阻止することはできないわけです。
 ですが、できるだけ解釈の幅を狭くするほうが、それは恣意的な解釈が行われにくくなるわけですから、60年間よく頑張ってきた9条だとほめてあげながら、でも、さすがにそろそろ、もうちょっと幅を狭くするということはやらなければいけないのではないかなと思います。

[1時間04分44秒経過 聴衆からの質問に答えて]
 私は、あえて言いますけども、立憲主義は絶対命がけでも守らなきゃいけないと。だけど、立憲主義の基本を守る範囲内では、つまり、先ほど来、申し上げているとおり、過去の解釈との整合性がとれる範囲内ではいろんな解釈があり得るんだということは、それは現実政治としてちゃんとやらないといけないと思っています。なので、それが「なし崩し」と言われちゃうと、やっぱりちょっと違うのかなと。
 だから、やっぱり、この議論というのは、法の支配とか立憲主義論みたいな、まさにルールのあり方みたいな話に徹したほうがよくて、何かそれを超えた次元の話にしちゃうと、それはまたいろんな立場といろんな見解がでてきちゃうので、あくまでも立憲主義の見地、あるいは法の支配という見地で、「許されることなのかどうか」という根本問題に限って国民的な合意形成をしたほうがいいんじゃないかなと思うんですけれどもね。

[1時間07分41秒経過]
 内閣法制局は内閣の一部局ですから、当然内閣の意思に基づいて動いてもらわなきゃいけない。そこはその通りなんですよ。だから我々のときは、別に私がやりたかったわけじゃないですが、とある大物の、いまは離党された方のご意向で「法制局長官は国会で答弁するな」ということで、私が国会で答弁しました。しかし、じゃあ、その内閣における法令解釈、憲法解釈の担当者の個人的な憲法に対する解釈論で、過去に積み重ねられていた憲法解釈を勝手に変えていいというのは、これはまた別問題ですよ。
 例えば私は、学生時代から、これは憲法の専門家が二人いらっしゃるところではそれ自体「違う」と言われるかもしれませんが、現行憲法の本来の解釈では、私学助成金は憲法違反だとずっと思っています。だけど、現に「これは合憲である」という政府としての公権解釈がなされ、それが定着をして今ある中で、じゃあ、時の、一時の内閣が「いや、これは実は正しくは、もともとは憲法違反と判断するべきものであったんだから、憲法違反の法律と予算執行だから私学助成金は直ちに止めます」なんて言っていいんですか?だから私は言いませんでした。それが立憲主義というものだと思います。
 その定着している憲法解釈を勝手にね、そのときの権力を持っているからと言って、変えてしまったら…。それはいまのは一例ですよ、例えば私学助成金は私は本来は違憲だったと思う。いまの憲法典ができた時点では。だけど、合憲だと解釈できる余地もあり、それでその解釈で来てしまった以上は、それは、もし憲法違反にしたいんだったら条文を変えないといけないと思います。

[1時間18分45秒経過]
 まず質問にお答えする前に、いまの船田先生の最後のところにちょっと反論したいんですけど。日本の国が滅ぶかも知れないような日本に対する有事に対しては、実は憲法の問題じゃなくて、自衛隊の装備の問題とか、交戦規定の話みたいなところでもっとやるべきことがあるんじゃないかとか、やれることがあるんじゃないか。さらに、少なくとも日米安保がしっかりといま機能している以上は、日本の自衛隊と米軍とを合わせたときに、少なくとも憲法を何か動かさないと日本の国が滅んでしまうみたいな、そういう状況だという話は、まったく私は理解できない。
 これは、日米安保が、「アメリカはもう日本を守りません」という、そういう国際状況にありますみたいな話ならばわかりますが、でもその場合は、今度は独自の個別自衛権をどこまでできるのかという話になるわけだし、ちょっとそこは意味がわからないということだけ申し上げておきたいと思います。
 その上でお尋ねに対してですが、どこかで言いたかったんですけども。日本は、戦後、民主主義が急に入ったので民主主義ばっかり注目されていますが、民主主義以上に立憲主義というのは近代国家にとっての基本原則です。多数決民主主義というのは、抽象的には正しい判断をするけれども、個別具体的に常に正しい判断をするわけではないというのが民主主義の基本前提です。個別具体的に正しくない判断をした場合であっても、そのことが大きな被害にならないように、特に人権に対する大きな侵害にならないようにということで、立憲主義が土台になきゃいけないわけです。
 つまり、そのときそのときの多数派が、何か勝手な、多数に支えられているんだから、民主主義的に支えられているんだから何でもしていいじゃないか、ということでは、やはり人権侵害は起こる。だから、あらかじめ抽象的なルールを決めて、人権侵害しちゃいけないとか、権力行使はこういうルールでやんなきゃいけないということを決めているんです。現に、この憲法があって、民主主義があって、立憲主義がある日本でも、例えば、これはよく申し上げているんですが、戦後、現行憲法下で、例えば、ハンセン病の患者さんたちに対する差別と偏見を、民主主義のもとでずっーと続けてきたんですよ。ようやく平成に入って、こうした方々の人権をちゃんと守るということは、平成になってからですよ。
 民主主義は間違えるんです。間違えた場合でもその影響をいかに小さくするかということのために立憲主義があるんで、いかに多数に支えられていても、大変困難な手続きだけど憲法を変えるという手続きで、抽象的なルールとして「本当にいいのか?」ということをかなり慎重に判断した上でルールを変えるということをしなきゃいけない。これは、民主主義以上の近代国家のルールです。
 だから、あえてご批判覚悟で刺激的なことを言えば、もしこの国で立憲主義が確保されないなら、亡命します。みんな亡命するべきだと思います。立憲主義が確保されていない20世紀後半以降の国家というのは、かつての社会主義国家と、そしていわゆる独裁国家だけ。それ以外は、やはり立憲主義というのはしっかり守ってやっていますよ。それを否定する国家には、やはりみんないるべきではないと思います。
 私も、まずは戦いますけど。まずは戦いますということを、政治家がこれを言わないと、それこそ本当に怒られちゃいます(笑)。まずはとことん戦います。

[1時間28分23秒経過]
 (集団的自衛権の行使容認は)私はアメリカの要望ではないと思います。アメリカの中にそういう希望をしている人たちもいると思いますが、アメリカの全体の国家意思として、そういった意思があるというほどまとまっているかというと、僕はそうじゃないと思っています。逆に短期的には、政策論の話になっちゃいますけど、今の東アジア情勢のなかで、日中関係や日韓関係がこれ以上緊張するということは、アメリカにとっては迷惑なことだと。もちろん、これは迷惑でも日本にとってはちゃんと言わなきゃならないことはあると、私はそういう立場ですが、アメリカの立場から見れば、特に日韓関係が悪くなったりすると、日米韓三カ国で東アジアを守っているという側面があるわけですから、これ以上日韓関係が悪くなったらアメリカは迷惑だという立場ですから、今は。で、間違いなくこの話は、これもまたそのことに影響されるべき問題ではありませんが、日中、日韓の関係に影響を与えるのは間違いない話ですから、そんなことをアメリカがいま国家意思として求めてきているとはまったく思っていません。

[1時間35分19秒経過]
 僕は、日本国憲法が、押しつけられたものだとはまったく思っていません。定着している憲法だから、そのことを前提に議論すべきだという立場です。ただ、歴史を振り返ったときに、やはり日本は、自らの立憲主義や民主主義の運動で、今の非常に民主的で立憲主義に基づいた憲法を勝ち取ったわけではない。これは歴史的な事実だと思います。
 敗戦によって得ることができた。で、いま恐らく初めて日本の立憲主義が試されているんだと思っています。ですから、私は意外と楽観しています。日本人の、特に戦後60年間の民意の成熟ということを考えたときに、こんなふざけた、立憲主義を破壊するような話は必ず阻止できると確信しています。でも、その当事者は、元の法制局長官でも、大学の憲法の先生でも、あえて言いますが、政治家も、その一員ではあるけれども、政治家ではありません。立憲主義、立憲民主主義的憲法を守る当事者は、まさに主権者である国民の皆さんで、その皆さんを私は信じていますので、亡命しなきゃならないようなことにはならないだろうと思っています。

[1時間38分21秒経過「予備的国民投票で決着をつけることを考えないか」という今井からの質問に答えて]
 まず、予備的にそういうことをやることで、国民的な憲法に関する議論を喚起するということについては、僕は賛成ですが、いま実はご指摘いただいた話と、先ほどの立憲主義を民意で守るという話は、これはちょっと違っていると思っています。今の定数が歪んでるとか、その ── これもまた憲法論でもあるけれども ── それでその議会が立法していていいのかとかという話は、これはこれで課題としてありますが、私が先ほど「民意を最終的には信頼しているし」と、まさに「国民が主権者として」と言ったのは、代議制民主主義を通じて何らかの民意をどうこうさせるということよりも、もっと抽象的な意味での、憲法制定権力としての国民、主権者が、しっかりとした見解等を持ち、しっかりとした声をあげれば、そうはいったって無茶なことはやっぱり政治権力はできないと思っているので。実際に議会のプロセスを通じてということ以上に、いま問われているのは、憲法制定権力としての主権者が、しっかりとこの立憲主義について声をあげるということが大事なんだと。そういうことの意味ですので、ちょっと私の問題意識とは違います。
 で、ご指摘いただいた問題も大変重要であるということは、そのとおりなんです。

 小林先生から「立憲主義は当たり前すぎてちゃんと教えてこなかった」という話を伺って、ほっとしたというか、うれしかったんですが、私も大学で憲法を勉強したはずだけど、立憲主義だなんてことを意識したのは、国会議員になって、憲法調査会で船田さんなんかと一緒に憲法の議論を始めて、そこで初めてですよ。実は日本の戦後60年、日本国憲法では、立憲主義が当たり前過ぎて実はほとんど教えられていないし、ほとんど誰も考えていない。国会の中だってわが党の中だってそうです。
 という現状の中、だけど、実は96条改正問題のときに、小林先生など頑張っていただいて、あっという間に、立憲主義の観点も含めて「こんなのは邪道だ」っていうのは国民の多数になったように、本能的にたぶん多くの皆さんは、ちゃんと説明すればわかってもらえると思っているので、それから、あえて、いま、国会も国民の皆さんも同じレベル、そういった意味では同じ段階だと思っています。

[1時間52分24秒経過 最後の発言]
 ぜひ、特に「憲法9条は変えちゃいけないんだ」と長年思ってこられた方、そういう運動をされていた方に、ぜひここは真剣に考えてもらいたいと思っています。つまり、例えば、私の論文に対してもそういう人たちからは「けしからん」という声が上がるんですが、だけど、9条の従来の条文を守るかどうかということ以上に、立憲主義を守るかどうかというのはもっと大事なことで、そこについて共通、共有できるのならば、それ以外のところの意見が違っていても、まずこの立憲主義を守るということについては、しっかりと成果をあげないと。
 その上で、じゃあ自民党のように9条を変えるのか、私の提案みたいな線でいくのか、それとも変えないのか、そこは意見は分かれてもいいけれども、立憲主義を守るという一点では、それは特に従来、9条を「絶対守れ!」と言ってきた人たちは、少なくともその点では共通しているはずなので。それは場合によったら、解釈改憲はだめだけど、自民党のように「国防軍をつくるんだ」と言っている人との間でも、ここは組まなきゃいけない状況なんだということを、ぜひ知っていただきたい。本当に民主主義の危機以上に立憲主義の危機というのは、我々のいまの生活する基盤をぶっ壊す話ですから、そこのところをぜひ多くの皆さんに知っていただきたいし、そのために最大限努力をしたいと思っています。

 

 
 
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